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「どれから食べようか迷っちゃう」「サーモンこっちにあるよ」
小さなこたつのテーブルからあふれそうなすしや総菜。ゲームやテレビのリモコンの取り合いで、たびたび食事が中断する。
岩手県陸前高田市の熊谷真理さん(43)は毎年大みそか、家族ですしを食べてきた。31日夜も、中学3年の長女真優さん(15)、小学6年の長男優輝君(12)、そして姪(めい)で中学1年の金野志織さん(13)、甥(おい)で小学4年の金野翔天(しょうま)君(9)と計5人でテーブルを囲んだ。
でも、いなければならない顔がなかった。東日本大震災で津波の犠牲になった夫利昭さん(当時43歳)、次男真輝(まさき)君(同4歳)、実母金野房子さん(同60歳、現在も行方不明)、そして妹金野忍さん(同37歳)。それでも、真理さんは言った。「いつも通りの大みそかを迎えさせてあげたかった。先のことはわかりませんが、新しい年は確実にやって来るから」
☆
3月11日朝、いつものように利昭さんは出勤し、真優さんと優輝君も登校した。真理さんは近くに住む母に真輝君を預け、勤め先へ向かった。職場で大地震に襲われ、高台へ一時避難したが、家族が心配で車に乗った。気仙川を越える橋を渡り、そこで迷った。
まっすぐ行けば、優輝君の通う高田小学校と真輝君を預けた実家がある。左折すると、真優さんの通う高田第一中学校。判断がつかないまま、とっさにハンドルを左に切った。
真優さん、優輝君には会えたが、ほかの家族と連絡がつかなかった。1週間後から夫、母、そして身長110センチの小さな次男を捜し安置所を回った。
数年前、がん検診で異常が見つかり、3人目の子となる真輝君を産もうと決めた。「私に何かあっても、3人兄弟が力を合わせれば乗り越えられる」。真理さんの後ろを真輝君はいつもくっついた。炒め物をすると「まっこもやる」。椅子に乗り、はしでフライパンをかき混ぜた。ふっくらしたほおと垂れた目が愛くるしかった。
ほとんど傷のない遺体が見つかったのは4月20日。「ごめん、助けてあげられなくて、ごめん」。安置所で人目もはばからず泣いた。
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真理さんの気がかりは、シングルマザーだった妹が残した3人の姪と甥=金野志織さん、千奈津さん(11)、翔天君=の行く末だ。施設にいるが「真優姉ちゃんママの家で暮らしたい」と言う。真理さんも6畳と4畳半の借り上げ住宅暮らし。復興住宅に入れる見込みも立たない。迷っている。
母も夫も勤め先も失い、相談相手はいない。一時不眠に悩み、ひきこもりがちになった。「真優や優輝はもっと不安では」と2人を連れ心のケア外来を訪れたが、医師に言われた。「お子さんたちは心配ありませんよ」。韓流スターに夢中な真優さん。アクションゲームが大好きで、友達の家へ行くと夜まで帰らない優輝君。2人とも震災前の日常を取り戻していた。
11月下旬。真理さんは市内に新設されるコールセンターの求人に申し込み、パソコン入力などの研修を受け始めた。「子供たちが元気なのに、私が立ち止まっているわけにはいきませんから」
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あの日。左に曲がる道を選んだ自分を責め続けてきた。「まっすぐ行ってたら、あんたが死んで子供たちが取り残された。左を選んでよかったんだ」。友人たちの言葉をようやく受け止められるようになった。
コールセンターで働く準備のため、子供たちが寝付いてからパソコンに向かう。あっという間に深夜になる。
「パソコン入力なんて、何年もやってこなかったからな」
少しずつ、心が外に向かい始めた。【市川明代】
(この記事は社会(毎日新聞)から引用させて頂きました)
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