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携帯電話やパソコン上でゲームサイト「Mobage(モバゲー)」やショッピングサイト「ビッダーズ」などを運営するディー・エヌ・エー(DeNA)は1999年3月の創業以来、事業を拡大し続け、現在の社員数はグループ連結で1600人を超えた。ヒューマンリソース本部人事企画部部長の稲村直穂子さん(47)が設立2年目の2000年に入社した時は社員数20人。数々の事業の立ち上げに携わり、組織の屋台骨を支えてきた。
*** 昼も夜もなくのめり込んだSE時代 ***
大学卒業後、コンピューターのシステム開発に関わりたいと、ソフトウェアの調査研究にはじまり、システムエンジニアとして顧客先の企業に必要なシステムの企画提案、「SIer(エスアイヤー)」としてプログラムの開発など、仕事中心の生活を送ってきた。何もないところから何かを作り上げる「モノ作り」の作業が好きだといい、「のめりこみやすい性格なので、仕事に夢中になると『気がついたら夜中』ということもありました」。好きな仕事に就けたので過酷な労働環境でも辞めようとは思わなかったが、10年ほどたったところでふと立ち止まった。納期に間に合わせるために昼夜、土日問わず仕事をするシステムエンジニアは、花鳥風月を味わうこともなく、一日、一ヵ月、一年があっという間に過ぎていく。「今の自分に向いているのか、一生続けられる仕事なのか。このような生活でいいのだろうか」と真剣に考えるようになった。
95年に、31歳で結婚。子供もほしい、そのために仕事と家庭をどう両立させたらいいのか考えるうちに、一通のメールが届いた。送り主はITベンチャー企業DeNAを99年3月に創業させた南場智子氏(前代表取締役社長)だった。「大学のOGのメーリングリストで、同じ津田塾大卒業生の南場から『インターネット上のウェブサイトでこんなサービス始めました。どなたか一緒に仕事しませんか? 』というメールをもらいました。女性がIT業界で起業したことに驚きましたし、面識はなくても同じ大学の卒業生が手がけた事業に興味を持ちました」
すぐに南場氏が始めたオークションサイト「ビッダーズ」にアクセスして機能を確かめた。機能はシンプルながらも規約や会員登録についてのフォローが整い、普及して間もないコンシューマー向けインターネットサービスの世界に可能性を感じたという。さっそく南場氏のメールに返信し面談することになったが、自分の生活スタイルを見直したい気持ちは強かった。「研究開発、プログラム開発をやってきて、次はエンジニアとして何がしたいのかと問われた時、『これまで積み上げてきたスキルにはこだわらないのでとにかく生活スタイルを変えたい』と答えたら、ビッダーズのカスタマーサービスの仕事をやらないかと提案されました」。夕方6時に会社を出ることが希望条件だったので、それが叶えられると知ると、すぐに転職を決意した。
*** 20人目の社員としてベンチャー企業に飛び込んで ***
00年3月、DeNAの20人目の社員になった。サイト内の会員が出品した商品を、別の会員が落札するというネットオークションの流れの中で、顧客の個人情報の管理、出品された商品の審査、取引がルールに反していないかチェックするのが主な仕事だった。顧客からの問い合わせにもメールや電話で対応する。システムとして不十分なところもあり、顧客への対応を迅速にするためデータベースを直接触って修正していた。
ある時、その修正に抜けている箇所があり、顧客のアドレスに延々と、落札決定のメールが届いてしまう状態を作ってしまった。「金曜の午後にその作業をして、夕方6時に退社したので、土日にお客様の元にメールが延々と届いてしまう事態を招いてしまったのです。月曜に出社すると社内は大騒ぎで、事態を収拾するためにお客様お一人ずつにおわびの手紙を出しました。心のどこかにシステムに精通している、オペレーションも確実という慢心があったのだと思い、素直に反省しました」。その時、上司から「緊急事態が発生した時は、起こしてしまったことよりも、状況を客観的に把握し、適切な対応をいかに俊敏にとれるかが重要。そして、次に向けて再発させない仕組み作りが大切」とアドバイスを受けた。事業の規模が大きくなるにつれてカスタマーサポートの担当者も増えてくる。後に入社したスタッフの作業に支障をきたさないように、顧客の対応や個人情報の管理といった、カスタマーサポートの作業をシステム化させた。
04年には携帯電話のオークションサイト「モバオク」のカスタマーサポートを立ち上げる。その後システム開発に携わるようになり、エンジニアに戻った。05年にモバイル事業部モバイルシステムグループリーダーになり、07年からは全社で増え続けるエンジニアのまとめ役になった。
*** やる気を引き出す人材配置を目指して ***
進化するIT業界では、経営サイドの意思決定の速さが明暗を分けるといっても過言ではない。DeNAではひとつの事業が会議で決まったら、すぐに担当チームを編成するため各部署から人員が集められる。その時に備えて、稲村さんは個々のエンジニアの能力を常に把握し、適材適所に人材を配置する重要な役割を担った。
普段はエンジニアが成長できるように仕事を割り振り、時には、エンジニア同士が切磋琢磨するような環境を提供したという。
「新規のサービスを立ち上げる時に他の部署で活躍している大黒柱を引き抜きます。引き抜かれた方は新しい事業にチャレンジできるのでステップアップにつながりますし、残された方は次こそ自分が引き抜かれようと奮起します。どちらのエンジニアも成長につながるのです」。また、実力よりも少し大きい仕事を与えると、最初はできなくても時間をかけてできるようになる。身の丈に合った仕事で満足するのではなく、チャレンジ精神を持って自発的に取り組む姿勢を持ってもらいたいと、稲村さんは仕事の進捗状況を見守りながら、あまり口出ししないように心がけているという。
11年10月からヒューマンリソース本部人事企画部長に就任。エンジニアだけでなく、営業や企画といった全社員の能力を把握する立場になった。社内で新しいビジネスが立ち上がる中で、エンジニアとしてシステムを作るよりも、戦略的に組織を成長させ支えることに充実感を覚えてきた。
「私が入社した時は社員が20人しかいませんでしたが、約10年でDeNA単体では約600人、グループ連結で1600人にまで拡大し、その様子を逐一見てきました。社員一人ひとりのスキルや成長を見ています。だからこそ適材適所に人材を配置できる仕組みをつくっていきたいと考えています」
自身はエンジニアのスキルをアピールするような転職活動を行ったわけではなく南場氏からのメールがきっかけで入社したが、エンジニアが転職したいと思った時、スキルや実績にこだわりを持たないほうが時として功を奏すると振り返る。稲村さんは今、エンジニアとしてシステム作りには直接的に携わる機会はないものの、積み上げてきたスキルを持っているからこそ、人の力を見極めることができ、組織の運営に欠かせない存在になった。「世界に向けていいサービスを提供できるように人材を育成していきたい」と、目線は未来に向かっている。
(文・ライター村田くみ)
・人生で一番大切なもの :
家族と仲間
・仕事史上最大の失敗 :
本文にある通り、ビッダーズのカスタマーサポートを担当していた時、データベースを間違って操作してしまい、顧客宛てにメールを連続して送信したこと
・働く理由 :
経済的な自立と自分への挑戦
・最近、影響を受けた人 :
南場智子さん
・最近、影響を受けた本 :
原田泳幸著『とことんやれば必ずできる』『日本マクドナルド社長が送り続けた101の言葉』
・落ち込んだ時のストレス解消法 :
とことん落ち込んでダメなところに向かい合い悔しがるとスッキリ立ち直る
・健康管理術 :
クラシックバレエを続けている。また、続けるためにピラティス、ジャイロトニックで体を鍛える
(この記事は社会(ジョブラボ)から引用させて頂きました)
集客
*** 昼も夜もなくのめり込んだSE時代 ***
大学卒業後、コンピューターのシステム開発に関わりたいと、ソフトウェアの調査研究にはじまり、システムエンジニアとして顧客先の企業に必要なシステムの企画提案、「SIer(エスアイヤー)」としてプログラムの開発など、仕事中心の生活を送ってきた。何もないところから何かを作り上げる「モノ作り」の作業が好きだといい、「のめりこみやすい性格なので、仕事に夢中になると『気がついたら夜中』ということもありました」。好きな仕事に就けたので過酷な労働環境でも辞めようとは思わなかったが、10年ほどたったところでふと立ち止まった。納期に間に合わせるために昼夜、土日問わず仕事をするシステムエンジニアは、花鳥風月を味わうこともなく、一日、一ヵ月、一年があっという間に過ぎていく。「今の自分に向いているのか、一生続けられる仕事なのか。このような生活でいいのだろうか」と真剣に考えるようになった。
95年に、31歳で結婚。子供もほしい、そのために仕事と家庭をどう両立させたらいいのか考えるうちに、一通のメールが届いた。送り主はITベンチャー企業DeNAを99年3月に創業させた南場智子氏(前代表取締役社長)だった。「大学のOGのメーリングリストで、同じ津田塾大卒業生の南場から『インターネット上のウェブサイトでこんなサービス始めました。どなたか一緒に仕事しませんか? 』というメールをもらいました。女性がIT業界で起業したことに驚きましたし、面識はなくても同じ大学の卒業生が手がけた事業に興味を持ちました」
すぐに南場氏が始めたオークションサイト「ビッダーズ」にアクセスして機能を確かめた。機能はシンプルながらも規約や会員登録についてのフォローが整い、普及して間もないコンシューマー向けインターネットサービスの世界に可能性を感じたという。さっそく南場氏のメールに返信し面談することになったが、自分の生活スタイルを見直したい気持ちは強かった。「研究開発、プログラム開発をやってきて、次はエンジニアとして何がしたいのかと問われた時、『これまで積み上げてきたスキルにはこだわらないのでとにかく生活スタイルを変えたい』と答えたら、ビッダーズのカスタマーサービスの仕事をやらないかと提案されました」。夕方6時に会社を出ることが希望条件だったので、それが叶えられると知ると、すぐに転職を決意した。
*** 20人目の社員としてベンチャー企業に飛び込んで ***
00年3月、DeNAの20人目の社員になった。サイト内の会員が出品した商品を、別の会員が落札するというネットオークションの流れの中で、顧客の個人情報の管理、出品された商品の審査、取引がルールに反していないかチェックするのが主な仕事だった。顧客からの問い合わせにもメールや電話で対応する。システムとして不十分なところもあり、顧客への対応を迅速にするためデータベースを直接触って修正していた。
ある時、その修正に抜けている箇所があり、顧客のアドレスに延々と、落札決定のメールが届いてしまう状態を作ってしまった。「金曜の午後にその作業をして、夕方6時に退社したので、土日にお客様の元にメールが延々と届いてしまう事態を招いてしまったのです。月曜に出社すると社内は大騒ぎで、事態を収拾するためにお客様お一人ずつにおわびの手紙を出しました。心のどこかにシステムに精通している、オペレーションも確実という慢心があったのだと思い、素直に反省しました」。その時、上司から「緊急事態が発生した時は、起こしてしまったことよりも、状況を客観的に把握し、適切な対応をいかに俊敏にとれるかが重要。そして、次に向けて再発させない仕組み作りが大切」とアドバイスを受けた。事業の規模が大きくなるにつれてカスタマーサポートの担当者も増えてくる。後に入社したスタッフの作業に支障をきたさないように、顧客の対応や個人情報の管理といった、カスタマーサポートの作業をシステム化させた。
04年には携帯電話のオークションサイト「モバオク」のカスタマーサポートを立ち上げる。その後システム開発に携わるようになり、エンジニアに戻った。05年にモバイル事業部モバイルシステムグループリーダーになり、07年からは全社で増え続けるエンジニアのまとめ役になった。
*** やる気を引き出す人材配置を目指して ***
進化するIT業界では、経営サイドの意思決定の速さが明暗を分けるといっても過言ではない。DeNAではひとつの事業が会議で決まったら、すぐに担当チームを編成するため各部署から人員が集められる。その時に備えて、稲村さんは個々のエンジニアの能力を常に把握し、適材適所に人材を配置する重要な役割を担った。
普段はエンジニアが成長できるように仕事を割り振り、時には、エンジニア同士が切磋琢磨するような環境を提供したという。
「新規のサービスを立ち上げる時に他の部署で活躍している大黒柱を引き抜きます。引き抜かれた方は新しい事業にチャレンジできるのでステップアップにつながりますし、残された方は次こそ自分が引き抜かれようと奮起します。どちらのエンジニアも成長につながるのです」。また、実力よりも少し大きい仕事を与えると、最初はできなくても時間をかけてできるようになる。身の丈に合った仕事で満足するのではなく、チャレンジ精神を持って自発的に取り組む姿勢を持ってもらいたいと、稲村さんは仕事の進捗状況を見守りながら、あまり口出ししないように心がけているという。
11年10月からヒューマンリソース本部人事企画部長に就任。エンジニアだけでなく、営業や企画といった全社員の能力を把握する立場になった。社内で新しいビジネスが立ち上がる中で、エンジニアとしてシステムを作るよりも、戦略的に組織を成長させ支えることに充実感を覚えてきた。
「私が入社した時は社員が20人しかいませんでしたが、約10年でDeNA単体では約600人、グループ連結で1600人にまで拡大し、その様子を逐一見てきました。社員一人ひとりのスキルや成長を見ています。だからこそ適材適所に人材を配置できる仕組みをつくっていきたいと考えています」
自身はエンジニアのスキルをアピールするような転職活動を行ったわけではなく南場氏からのメールがきっかけで入社したが、エンジニアが転職したいと思った時、スキルや実績にこだわりを持たないほうが時として功を奏すると振り返る。稲村さんは今、エンジニアとしてシステム作りには直接的に携わる機会はないものの、積み上げてきたスキルを持っているからこそ、人の力を見極めることができ、組織の運営に欠かせない存在になった。「世界に向けていいサービスを提供できるように人材を育成していきたい」と、目線は未来に向かっている。
(文・ライター村田くみ)
・人生で一番大切なもの :
家族と仲間
・仕事史上最大の失敗 :
本文にある通り、ビッダーズのカスタマーサポートを担当していた時、データベースを間違って操作してしまい、顧客宛てにメールを連続して送信したこと
・働く理由 :
経済的な自立と自分への挑戦
・最近、影響を受けた人 :
南場智子さん
・最近、影響を受けた本 :
原田泳幸著『とことんやれば必ずできる』『日本マクドナルド社長が送り続けた101の言葉』
・落ち込んだ時のストレス解消法 :
とことん落ち込んでダメなところに向かい合い悔しがるとスッキリ立ち直る
・健康管理術 :
クラシックバレエを続けている。また、続けるためにピラティス、ジャイロトニックで体を鍛える
(この記事は社会(ジョブラボ)から引用させて頂きました)
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